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【朝鮮日報】【コラム】三・一運動と「女性の誕生」

 「何よりも三・一運動独立運動)の女性たちは、その後つまずいて失敗しながらも未開拓の道を切り開くことをいとわなかった」。高麗大学クォン・ボドレ教授が三・一運動100周年を迎えるにあたり、これまでの研究や記録をまとめ、先日出版した著書『3月1日の夜』を読んでも、内心引っかかる部分があった。 三・一運動は「伝家の宝刀」や「魔法のつえ」でもないのに、その影響を過度に拡大解釈しているのでは、という疑念だった。しかし、最近発表された論文や本のおかげで怠惰な先入観を修正できた。

 第一に、「家の中の存在」として認識されていた女性たちが、三・一運動を通じて「社会的基盤」を築き始めたという分析が際立つ。それまで学校に行くため家を出るのもためらっていた朝鮮の女性たちが、ソウルの鐘路交差点で両手を挙げて万歳を叫ぶことで急速に社会化されたのだ。その意味で三・一運動は20世紀の韓国人女性の歴史においても決定的な転換点となった。

 次に、「文章を書く女性」の誕生だ。成均館大学のチャン・ヨンウン客員教授が『三・一運動と監獄に閉じ込められた女性知識人たち』で注目した女性知識人が、「初の女性新聞記者」と言われる崔恩喜(チェ・ウンヒ、1904-84年)だ。事実、崔恩喜は1924年朝鮮日報に入社し、阿片窟(アヘンの販売・喫煙施設)や売春宿の取材で話題を集め、1926年の「6・10万歳運動」(1926年6月10に起こった独立運動)を号外で報じた。

 光復(日本による植民地支配からの解放、1945年)後も崔恩喜は三・一運動で収監された女性たちをいたわる催しを主導し、参加者たちにインタビューして再び記録に残した。英国の女性小説家ヴァージニア・ウルフは「女性が小説を書くには、お金と自分だけの部屋が必要だ」と言った。しかし、韓国の女性知識人たちは厳しい現実の中で執筆テーマを見つけ出したのだ。チャン・ヨンウン教授は「女性たちが歴史の主人公になるには、まず歴史に記録されなければならないと崔恩喜は信じ、その作業に次第に没頭するようになった」と評した。

 最後に、三・一運動は女性政治家登場のきっかけとなった。1919年3月に全州万歳運動を主導した任永信(イム・ヨンシン、1899-1977年)は論理的な受け答えをすることから裁判長すら「あなたのような女性が100人いれば朝鮮も独立できるだろう」と感嘆したという。 1948年に韓国初の女性長官(商工部〈省に相当〉長官)になったのも理由があるということだ。馬山市で三・一運動に参加した朴順天(パク・スンチョン、1898-1983年)も1963年に民主党総裁に選出され、初の女性党首として記録されている。

 それから100年後の今はというと、「男性嫌悪」「女性嫌悪」といった過激な言葉ばかり飛び交っている。このため、男女平等という課題も滞っているように見える。しかし、この100年間を通時的な観点から長い目で見ると、女性の社会参加も三・一運動大韓民国誕生を経て著しく改善されてきたのは事実だ。産業化・民主化だけでなく、男女平等という観点からも誇りを持って現代史を振り返る理由は十分ある。

文化部=金性鉉(キム・ソンヒョン)次長