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竹島問題で「拝啓~韓国の皆様へ」 超党派議連が“歴史的事実”を韓国側に送付

新藤氏「韓国の主張は正当性ない」“歴史的事実”と“根拠“を求める
我が国固有の領土である竹島に不法上陸した韓国の国会議員に対して、超党派で作る「日本の領土を守るため行動する議員連盟」が公開質問状を送付したが、韓国議員側はこれに回答せず、封を破り乱雑に送り返すという誠意なき対応がとられたことは過去に記事にした。

【画像】竹島問題がよくわかる図・資料を見る

こうした中で4月2日、超党派議連の会長である新藤義孝総務相が記者会見を行った。

「(韓国議員から)回答いただけない以上、私たちが承知している、韓国側が主張している竹島の領有に関する根拠がございます。実際の歴史の事実、国際法の解釈からして、韓国の主張していることには、正当性がない。私はそう思っているわけでございます」

新藤氏はこのように述べた上で、公開質問状で質した点について、これまで韓国側が主張してきている内容を対比し、その主張を“論破”する「回答」を作成したことを発表した。

この回答は日本語のほかに、韓国語と英語でも作成されていて、去年10月と11月に竹島に不法上陸した計21人の韓国国会議員に送付するほか、2月に新藤氏に対して、韓国の国策研究機関である「東北アジア歴史財団」が作成した日本語資料を送ってきた、徐銅徳(ソ・ギョンドク)教授にも送ることが明らかにされた。

新藤氏は「まずは根本の領有の真実を確定させることが重要だ。声をかけても、一切説明もしようとしない。話し合いも応じようとしない。その韓国の国会議員の姿勢は、果たして韓国の国民がそれを望んでいて容認しているのかということを、私は韓国の世論にも訴えたい。今回のことが何らかの話し合いのきっかけの1つになることを切に願って手紙を送りたいと思います」と強調した。

韓国側の主張を歴史的事実で覆す“4つ”の回答
新藤氏らが作成し送付する資料には、竹島(韓国側の呼称「独島」)に関する歴史認識を問いただした質問状の内容に関し、これまでの韓国側の主張を基にした【予想される韓国側の回答の例】と、新藤氏らがまとめた【歴史的事実、国際法に即した回答の例】が併記・比較されている。その内容を見ていきたい。

▼質問1. 韓国側は「竹島は地理的に欝陵島の一部として認識されてきました」としていますが、それを示す歴史的根拠・史料は何か、説明を求めます。

これに対する【予想される韓国側の回答例】は、「地理的に独島は鬱陵島の近くにあり、肉眼で見ることができる」「昔から鬱陵島の住民たちは自然に独島を付属の島嶼として認識」していたとした上で、朝鮮王朝時代の1454年に作成された歴史書『世宗実録』の『地理志』に「鬱陵島と独島、二つの島は互いに遠くなく、天気が良い日には望み見ることができる」と記載されていることが挙げられている。

これに対する新藤氏らの【歴史的事実、国際法に即した回答の例】は以下だ。

「独島を韓国領とする根拠として『世宗実録』「地理志」を鬱陵島から于山島が見えると解釈していますが、その前後で編纂された『高麗史』と『新増東国輿地勝覧』では、于山島の所在を明らかにしておらず、後の地図では于山島を現在の竹嶼(竹島とは別の島)のこととしている」「自国の領土から距離が近いとか、島が見えるということは領土の確定において考慮されない。従って『肉眼で見える』ことは、領有の根拠にはなりません」

この回答例について補足したい。韓国の『世宗実録』の「地理志」には「于山、武陵二島在縣正東海中」という記述がある。韓国側は于山を竹島(独島)、武陵を竹島の西にある鬱陵島とし、「于山(独島)と武陵(欝陵島)二島が県の正東の海中にある」と解釈している。
ただ、この于山=竹島だという前提は、実は論証もせずに韓国が決めつけているだけで、その他の文献では明確に記されていないのだ。于山を鬱陵島と同じと記載している文献もあれば、于山を竹嶼という竹島ではない別の島としている地図もあり、この記述をもって竹島鬱陵島の一部だという主張は無理がある。
その上で、そもそもの大前提として鬱陵島から竹島が肉眼で見えるのだから韓国領だという主張自体が、そもそも根拠不明であるという点が指摘されているのだ。

▼質問2. 韓国側は「韓国が竹島を韓国領土として認識・統治してきた歴史的事実は、韓国の官撰文献にも記録されています」としていますが、それを証明する文献は何か、説明を求めます。

この2つ目の問いに対する【予想される韓国側回答の例】は『三国史記』(1145年)、『世宗実録「地理志」』(1454年)、『新増東国輿地勝覧』(1531年)、『萬機要覧』(1808年)といった文献を挙げた上で、特に『萬機要覧』において、「輿地志云、欝陵于山皆于山国地。于山則倭所謂松島也(輿地志には、鬱陵と于山は全て于山国の地で、于山はすなわち倭の所謂松島である)」とあり、これは韓国の文献にある于山島が日本の松島(現在の竹島)であることを示しているという内容だ。

これに対する、新藤氏らによる【歴史的事実・国際法に即した回答の例】を見てみよう。

「『萬機要覧』は1770年に成立した『東国文献備考』の記事を引用したもので、その『東国文献備考』が引用した『輿地志』の原典には、「于山鬱陵本一島」とあります。この事実は、于山島が日本の所謂松島にされたのは、1770年の『東国文献備考』からということになります」とし、「1770年に編纂された文献を根拠に、それ以前に編纂された『三国史記』(1145年)、『世宗実録』「地理志」(1454年)、『新増東国輿地勝覧』(1531年)に記された于山国や于山島を、松島(現在の竹島)とすることはできません」

これも解説すると、かつて我が国や我が国周辺では、竹島は「松島」と呼ばれ,鬱陵島は「竹島」や「磯竹島」と呼ばれていた。韓国側の主張は、「自分たちの文献には、于山は自分達の領土であり、于山は松島つまり竹島だと書いてあるじゃないか!」というものだ。
しかし、『萬機要覧』は1808年に編纂された朝鮮王朝時の官選書なのだが、この中の指摘されている記述は『東国文献備考(1770年)』から引用され、これはさらに、「輿地志(正式名称は「東国輿地志」という文書)」からの引用なのだ。では1656年に編纂された「輿地志」に竹島はどう記述されているのだろうか?

実は「一説于山鬱陵本一島(一説に、于山島と欝陵島は同じ島である)」と書かれてはいるが、「欝陵于山皆于山国地。于山則倭所謂松島也」という文言はなく、引用の間に文が書き換えられているとみられるのだ。
これは日本の外務省のHPでも書かれていることだが、引用の課程で書き換えられた可能性がある文献を根拠として挙げても信頼はおけない。

付け加えれば、于山=松島とする見解は、1696年に鳥取藩に密航した安龍福という人物の証言から始まっている。
これは、FNNの渡邊康弘ソウル支局長の記事でもわかりやすくまとめられているが、偽証したことを裏付ける記述がしっかりと残っている人物で、韓国側の主張はいかに歴史的な根拠が希薄かということがわかる。

存在しなかった島を根拠に領有権主張?
続いて3つめの質問への回答を見ていこう。

▼質問3. 韓国側は「1905 年、島根県告示による竹島編入の試みがあるまで、日本政府は竹島が自国の領土でないと認識していました。これは1877 年の「太政官指令」など日本政府の公式文書でも確認できます」としていますが、その「太政官指令」で「竹島外一島」とされた島々が、その後、日本ではどのように認識されていったのか、その歴史的経緯と事実についてどのように理解されているのか、説明を求めます。

ここでは、江戸時代の日本では、現在の竹島が松島と呼ばれ、現在の韓国領である鬱陵島竹島と呼ばれていたが、明治期に呼称が入れ変わったことを踏まえて見ていただきたい。

【予想される韓国側回答の例】は、1876年に島根県竹島鬱陵島)と松島(竹島)について明治政府の内務省に意見を求めたところ、内務省は当時の最高行政機関である太政官に最終決定を聞いた。
そうしたところ1877年に「『竹島外一島』は日本と関係がないと心得よ」という指令を内務省に下していて、竹島外一島とは現在の鬱陵島と独島(竹島)のことだ。
それを示しているのが質疑書に添付された『磯竹島略図』で、その地図では独島は、日本の名称である松島と表記されている。このように日本は1905年(※日本政府による竹島編入)以前に鬱陵島と独島を日本の領土ではないと明確に認めている、というものだ。

これに対する新藤氏らの【歴史的事実・国際法に即した回答の例】は以下だ。

「『磯竹島略図』は島根県が作成したもので、太政官の作成ではありません。従って、太政官が「竹島外一島」とした松島を現在の竹島とする根拠にはなりません。太政官指令が下された当時の海図や地図には、竹島(アルゴノート島)と松島(ダジュレート島)が描かれたものがあります。ですが竹島(アルゴノート島)は後に実在しない島とされ、松島(ダジュレート島)が現在の鬱陵島であったことが判明します」
太政官が「竹島外一島」とした松島は、現在の竹島ではなかったのです」

これも詳細を補足したいと思う。アルゴノート島とダジュレート島というのは初めて聞く名前かもしれないが、外務省がまとめたものがわかりやすい。
つまり、フランスの航海士が鬱陵島をダジュレート島と命名し、その後イギリスの探検家がさらに鬱陵島をアルゴノート島と名付けた。しかし、双方が測定した経緯度にズレがあり、それぞれが発見した鬱陵島が、別の2島のように当時のヨーロッパの地図に記載されてしまったのだ。


その地図では、現在の鬱陵島の位置にあるのがダジュレート島で、そこからさらに西にあるのがアルゴノート島なので、本来の位置にはない島が出来上がってしまった。
しかも、当時の日本や朝鮮半島では、西から竹島(現在の鬱陵島)、松島(現在の竹島)と呼んでいたことから、存在しないアルゴノート島に竹島、ダジュレート島(鬱陵島)に松島と名前が付けられた地図が多く作成されてしまった。

これまで竹島と呼ばれていた鬱陵島が松島という名前を付けられて大混乱になってしまったのだ。その結果、1880年に調査を行って確認したところ、「竹島外一島」とされていた松島は「江戸時代に称された竹島」つまり鬱陵島だったと判明するのだ。
この点でも韓国の主張は一部の都合の良い点を切り取っただけにすぎないことが分かる。

竹島は韓国領に”との要請は米国から拒否
▼質問4. 韓国側は「第二次世界大戦終戦後、竹島は韓国の領土に戻り、大韓民国政府は確固たる領土主権を行使しています」としていますが、その国際法上の根拠・文書は何か、説明を求めます。

最後の質問に対する【予想される韓国側回答の例】は以下のようになる。

「連合国総司令部は第二次世界大戦後、サンフランシスコ講和条約が発効する時まで、独島を日本から分離して扱いました。連合国総司令部は、日本占領期間内に独島を鬱陵島とともに日本の統治対象から除外した地域を規定した連合国最高司令官覚書(SCAPIN)第677号を適用した」
「連合国総司令部が独島を日本の領域から分離して取り扱っていたことは、日本が『暴力と貪欲により略奪した』領土を放棄すると明記したカイロ宣言ポツダム宣言等によって確立した連合国の戦後処理政策に従っている。独島は1945年、日本の敗北によって韓国に返還され、サンフランシスコ講和条約はこれを確認した」

これに対する新藤氏らの【歴史的事実と国際法に基づく回答例】は以下のようになる。

カイロ宣言に「暴力及貪慾二依リ日本国ノ略取」した地域とあっても、その中に竹島(独島)が含まれていたとはいえません」
「また、行政上の権力行使を停止することを記載している連合国最高司令官指令第677号の覚書の第3項には、日本の範囲から除かれる地域として「(a)鬱陵島竹島済州島。・・・」と記されていますが、同指令覚書の第6項には、「この指令中の条項は何れも(略)小島嶼の最終決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない」とあることから、同指令は領土の処分でないことは明らか」
「米国政府は1951年8月10日『ドク島、または竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐島支庁の管轄下にある。この島は、かつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとは見られない』と回答して、韓国側の修正要求を却下しました」

これも詳細を見ていこう。まず大前提として1951年9月に署名された、サンフランシスコ講話条約では、日本が放棄すべき地域として「済州島,巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」と規定されていて、竹島は入っていない。
しかし韓国側の主張は、決定に至る過程で作られた起草文書の段階で米国は竹島を韓国領土と認識していたという主張や、竹島と言う文言が入っていないが、当然歴史的な経緯も含めて竹島は韓国のものだと主張している。

結論から言うと、これも韓国側の希望的観測であって、正式な条約文書に「竹島」という文言がないのにも関わらず、都合の良いように解釈しているだけだ。
また、サンフランシスコ条約を作成していた米国に対し韓国は、1951年7月に日本が放棄する領土に竹島を盛り込むように求めたが、その要請を明確に拒絶されている。これは米国政府が公開した外交文書によって明らかになっている。
事前に「竹島」を盛り込むように要請し、断られた事実があるにも関わらず、文脈の中に竹島が入っているという主張は成り立たないのではないか。

また条約発効後には、米国は日本に対して,竹島を爆撃訓練区域として使用することを申し入れている。竹島が韓国のものだと米国が認識していたとすれば、米国は韓国に申し込むはずではないか。

一言加えると、このサンフランシスコ条約発効直前の1952年1月に韓国はいわゆる「李承晩ライン」を一方的に設定し,国際法に反して竹島を不法占拠した。

韓国は“願望的歴史観”と“感情論”よりも事実に基づいた議論を
以上が、新藤氏らがまとめた回答例になる。解説はわかりやすさを重視したため、ポイントだけを記載したことや、これ以外にも竹島に関しては様々な論点が存在することにも触れておく。

新藤氏はこうした回答例を出した上で
竹島を韓国のものだと言いたいのは、まさに願望的歴史であって、日本が侵略したものではなくて、自分たちが元々から使っていた島なんですから。領土問題なのに歴史問題にすり替えて、日本に対して竹島を日本が主張することは第二の侵略であると。こういう風に韓国の国民世論に訴える。聞かされた韓国の人たちは、私は気の毒だと思っている」と批判した。

さらに「私は自分たちが学者だとか、研究員とさんざん調べて、どう調べてもこういう解釈しかできないので、一方で違う事実があるならば話し合いをしようじゃないかと。そして韓国側に竹島を自分たちの島としてかつて使っていたものがあるならば、それを見せてほしいと思っている」と指摘した。

新藤氏はすでに手紙を発送した。感情論の対立で、竹島の領有権を言い合うのではなく、今必要なのは歴史的根拠と事実に基づいた話し合いではなかろうか。
今回提示された4つの論点について、韓国側が「間違っている」と言うならば、それを堂々と主張し、議論に応じるべきだ。
韓国側からの誠意ある返事は来るのだろうか。それともただ虚偽の事実をもって領有を主張するだけなのか。韓国側の対応が問われている。