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【#ハンギョレ】「朴正煕の反国家団体」韓統連の在日同胞21人が韓国に来られない理由とは

「韓統連の完全な名誉回復と帰国保障のための対策委員会」発足 
「韓統連のパスポート発給制限に関し、人権委・国会・大統領府に陳情」
 1955年に日本の大阪で生まれたキム・チャンオ氏(64)は、12歳だった1967年、トイレで自分の「韓国人」のアイデンティティについて恐怖を感じたその瞬間をいまも忘れられない。当時、地下鉄の駅のトイレには「朝鮮人は帰れ」という落書きがあちこちに書かれていた。日本社会の韓国人に対する差別と虐待を全身で感じた瞬間だった。「落書きを見たとき、本当に怖かった。韓国語もできず、韓国人といえば両親しか知らないのに、恐怖を感じました」

 キム氏はその後、韓国人だという事実を隠して暮らしていた。しかし、大学に入学した1974年、東京にパンダを見に行こうと親しい先輩に誘われ、韓国民主回復統一促進国民会議(韓民統)が主催する集会に出席して考えが変わった。韓国の民主化と統一のために尽くす韓民統の在日韓国人の姿に衝撃と感動を受け、団体に加入することになった。キム氏はその後、韓国人だという事実を隠さなかった。韓民統で毎週水曜日に韓国語を学び、毎週金曜日に韓国史を学んだ。初めて残酷な日本の植民地支配について知り、独立運動の歴史を学んだ。特に1960年4・19革命を率いた学生の話を学び、キム氏は韓国の民主化と祖国統一のために一生生きていこうと誓ったという。

 1973年に結成された韓民統に暗雲が立ち込めたのは、朴正煕(パク・チョンヒ)政権の公安統治のためだ。1977年、韓民統が「在日同胞留学生スパイ団事件」当時、スパイ容疑で有罪宣告を受けたキム・ジョンサ氏の背後団体として指摘され、国家保安法上「反国家団体」に指定された。朴正煕政権は150人余りの在日同胞留学生をスパイに仕立て、拷問、死刑、無期懲役刑などを宣告し、刑務所に入れた。全斗煥(チョン・ドゥファン)政権の時も暗黒期は続いた。1980年、金大中(キム・デジュン)元大統領は韓民統議長の経歴を理由に反国家団体首魁罪の適用を受け、死刑を言い渡された。スパイにされたキム・ジョンサ氏は2013年5月になって、最高裁判所(大法院)の再審を通じて無罪を宣告された。しかし、韓民統の後身である在日韓国民主統一連合(韓統連)は依然として反国家団体のレッテルをはられたままだ。

 このため韓国政府は、2003年までキム氏が韓統連に加入したという理由でパスポートを発給しなかった。キム氏は1992年、統一運動のためにドイツ・ベルリンへ出張に行った当時、フランクフルト空港でドイツの警官にパスポートがないという理由で連行され、取り調べを受けなければならなかった。日本で発給された「再入国許可証」では、キム氏の保護するのに限界があった。

 2003年に盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府が発足してから、キム氏は韓国のパスポートを発給され故国の地を踏むことができた。いつになるか分からなかった「ソウルで会おう」という約束が、ついに現実になった瞬間だった。日本から韓国へ出発する日の朝、キム氏は日本で経験した侮辱と差別、これまで故国に行けなかった悲しさが一気にこみ上げ、止めどなく泣いた。そのようにして48年の生涯で初めて仁川国際空港に入国したキム氏の手には、大韓民国の「臨時パスポート」が握られていた。キム氏は翌年の2004年になって正式に大韓民国のパスポートを手にすることができた。

 幸いキム氏は2004年に韓国の正式なパスポートを発給されてから、韓国だけでなく外国の往来に不自由はない。しかし、キム氏は非常に例外的なケースだ。いまだに多くの韓統連メンバーが日本に留められ、韓国に来ることができない状態だ。韓統連メンバーのうち21人は、1~5年の短い有効期間のパスポートしか発給を受けることができず、有効期間が終わるごとに更新しなければならない困難を負っている。

登録:2019-04-24 09:47 修正:2019-04-24 12:00
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「韓統連の完全な名誉回復と帰国保障のための対策委員会」発足 
「韓統連のパスポート発給制限に関し、人権委・国会・大統領府に陳情」

韓統連の完全な名誉回復と帰国保障のための対策委員会の発足記者会見が23日午前、ソウル中区貞洞のフランシスコ会館で開かれた。日本から来た韓統連メンバーのキム・チャンオ氏(右)が盧武鉉大統領在任時代に入国して報道された内容を見せている=キム・ボンギュ先任記者//ハンギョレ新聞社
 1955年に日本の大阪で生まれたキム・チャンオ氏(64)は、12歳だった1967年、トイレで自分の「韓国人」のアイデンティティについて恐怖を感じたその瞬間をいまも忘れられない。当時、地下鉄の駅のトイレには「朝鮮人は帰れ」という落書きがあちこちに書かれていた。日本社会の韓国人に対する差別と虐待を全身で感じた瞬間だった。「落書きを見たとき、本当に怖かった。韓国語もできず、韓国人といえば両親しか知らないのに、恐怖を感じました」

 キム氏はその後、韓国人だという事実を隠して暮らしていた。しかし、大学に入学した1974年、東京にパンダを見に行こうと親しい先輩に誘われ、韓国民主回復統一促進国民会議(韓民統)が主催する集会に出席して考えが変わった。韓国の民主化と統一のために尽くす韓民統の在日韓国人の姿に衝撃と感動を受け、団体に加入することになった。キム氏はその後、韓国人だという事実を隠さなかった。韓民統で毎週水曜日に韓国語を学び、毎週金曜日に韓国史を学んだ。初めて残酷な日本の植民地支配について知り、独立運動の歴史を学んだ。特に1960年4・19革命を率いた学生の話を学び、キム氏は韓国の民主化と祖国統一のために一生生きていこうと誓ったという。

 1973年に結成された韓民統に暗雲が立ち込めたのは、朴正煕(パク・チョンヒ)政権の公安統治のためだ。1977年、韓民統が「在日同胞留学生スパイ団事件」当時、スパイ容疑で有罪宣告を受けたキム・ジョンサ氏の背後団体として指摘され、国家保安法上「反国家団体」に指定された。朴正煕政権は150人余りの在日同胞留学生をスパイに仕立て、拷問、死刑、無期懲役刑などを宣告し、刑務所に入れた。全斗煥(チョン・ドゥファン)政権の時も暗黒期は続いた。1980年、金大中(キム・デジュン)元大統領は韓民統議長の経歴を理由に反国家団体首魁罪の適用を受け、死刑を言い渡された。スパイにされたキム・ジョンサ氏は2013年5月になって、最高裁判所(大法院)の再審を通じて無罪を宣告された。しかし、韓民統の後身である在日韓国民主統一連合(韓統連)は依然として反国家団体のレッテルをはられたままだ。

 このため韓国政府は、2003年までキム氏が韓統連に加入したという理由でパスポートを発給しなかった。キム氏は1992年、統一運動のためにドイツ・ベルリンへ出張に行った当時、フランクフルト空港でドイツの警官にパスポートがないという理由で連行され、取り調べを受けなければならなかった。日本で発給された「再入国許可証」では、キム氏の保護するのに限界があった。

 2003年に盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府が発足してから、キム氏は韓国のパスポートを発給され故国の地を踏むことができた。いつになるか分からなかった「ソウルで会おう」という約束が、ついに現実になった瞬間だった。日本から韓国へ出発する日の朝、キム氏は日本で経験した侮辱と差別、これまで故国に行けなかった悲しさが一気にこみ上げ、止めどなく泣いた。そのようにして48年の生涯で初めて仁川国際空港に入国したキム氏の手には、大韓民国の「臨時パスポート」が握られていた。キム氏は翌年の2004年になって正式に大韓民国のパスポートを手にすることができた。

 幸いキム氏は2004年に韓国の正式なパスポートを発給されてから、韓国だけでなく外国の往来に不自由はない。しかし、キム氏は非常に例外的なケースだ。いまだに多くの韓統連メンバーが日本に留められ、韓国に来ることができない状態だ。韓統連メンバーのうち21人は、1~5年の短い有効期間のパスポートしか発給を受けることができず、有効期間が終わるごとに更新しなければならない困難を負っている。


韓統連の完全な名誉回復と帰国保障のための対策委員会の発足記者会見が23日午前、ソウル中区貞洞のフランシスコ会館で開かれた。チェ・ビョンモ対策委員長(中央)が挨拶の言葉を述べている=キム・ボンギュ先任記者//ハンギョレ新聞社
 23日、ソウル中区貞洞(チョンドン)のフランシスコ会館で開かれた「韓統連の完全な名誉回復と帰国保障のための対策委員会」(対策委)の発足式にキム氏だけが参加することができたのはそのような理由からだ。

 この日、6・15(共同宣言実践)南側委員会のイ・チャンボク常任代表と「海外民主人士の名誉回復と帰国保障のための汎国民対策委員会」のチェ・ビョンモ元常任代表など29人は、まだ韓統連が反国家団体と規定されており、同団体のメンバーという理由でパスポートが発給されない在日韓国人の名誉回復と帰国保障に向けて対策委員会を立ち上げたと明らかにした。チェ・ビョンモ対策委代表は「韓統連が現在受けている弾圧は、日本で韓国の独裁政権に反して民主化運動をしたというたった一点のためだ」とし、「韓統連メンバーはすべて自由な韓国人であるため、韓国に出入りすることを妨げる理由はない」と強調した。イム・ジョンイン対策委執行委員長は「パスポートは事実上住民登録証と同じ」と言い、「たとえ険悪な犯罪を犯しても住民登録証は出される」と指摘した。

 発足式の現場で出た説明を総合すると、韓統連のメンバーのキム氏のある先輩は、パスポートを適時に発給してもらえず、母親の臨終に立ちあえなかった。ソン・ヒョングン韓統連議長は、文在寅(ムン・ジェイン)政権に入ってパスポートを申請したが、パスポートの発給が見送られ、いまだに韓国に来ることができない状況だと明らかにした。日本に留められている韓統連メンバーらは、再入国許可証を持って日本から出た後、再入国が可能だが、米国や英国などに長期間国外研修や留学に行くのは不可能だ。キム氏が15年前にようやく克服した苦痛を、韓統連メンバーのうち一部は今も耐えながら暮らしている。対策委はこれに対し、「韓統連のメンバーにパスポートを発給しない政府に対し、近く国家人権委員会と国会、大統領府などに陳情を出す予定」だと明らかにした。

クォン・ジダム記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )