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【#中央日報】【コラム】文在寅政権は「自由」をどう記憶するのか

4・19(1960年、四月革命)は自由だ。4・19革命は自由の偉大な勝利だ。今年は革命59周年。19日にソウル水踰洞(スユドン)の4・19民主墓地で記念式があった。自由党の独裁・不正に対する抵抗・犠牲を追憶した。李洛淵(イ・ナギョン)首相の記念演説が続いた。「4・19革命は大韓民国民主主義に礎石を置きました…」。1470字の演説(5分45秒)だ。彼の記念演説は韓国の民主主義の前進と執念を込めた。しかし「自由」という言葉は出てこなかった。「自由民主主義」という表現はなかった。

自由・民主・正義は4・19の3大精神だ。行事場所ではその語彙があふれた。李首相の言葉はそれと対照をなした。参加者の大半は「自由」の省略を感知できなかった。記念演説の「民主主義」を「自由民主主義」と認識した。しかし4・19世代のキム・ユンス氏(元出版関係)は分別力を見せる。行事後、彼は「自由を取り除いた民主主義の語彙は革命の祭壇に合わない」と言った。

自由は響きだ。詩人・趙芝薫(チョ・ジフン)の圧縮は強烈だ。「自由! お前、永遠の活火山よ!」(高麗大キャンパス4・19記念塔)。詩人の感受性は自由を優先した。自由のない修辞学は味気ない。59年前のその日の激情と重みを込めることはできない。首相の記念演説は響かない。

昨年の58周年記念日、文在寅ムン・ジェイン)大統領は水踰洞の国立墓地を訪れた。文大統領は芳名録にこう書いた。「4・19革命の精神で正義のある公正な国を作ります」。その言葉は大統領の言語政治学を象徴する。「自由」という表現は抜けた。

過去の4・19記念演説はどうだったのか。40周年(2000年)は金大中(キム・デジュン)大統領の時期だ。彼の演説は自由を刻印した。「40年前の今日は自由と正義、そして民主主義を勝ち取るために憤然として立ち上がった日…前進の道に4・19革命が成し遂げようとした自由と民主主義があります」。

50周年(2010年)は李明博(イ・ミョンバク)大統領の時だった。「自由の鐘を乱打し、自由と民主、正義のたいまつを高く掲げた…解放後、我々は自由民主主義と市場経済という時代の大きな価値…」。彼らの言葉の中で「自由」は鮮明だ。
権力の言語風景は変わった。「自由」という言葉は押し出された。その省略は繰り返される。試練を受ける自由だ。シン・ボクリョン元建国大客員教授は背景を分析する。「自由と自由民主主義を資本主義市場経済と等値視し、保守右派の理念と言語として規定するからだ。その語彙の代替が正義と平等だ」。文大統領の言語は抜かりなく作られている。「機会は平等、過程は公正、結果は正義」だ。

権力言語の変化は「世界観の反映」だ(作家・卜鉅一氏の表現)。青瓦台(チョンワデ、大統領府)参謀陣の主力は586運動圏出身者だ。朴亨埈(パク・ヒョンジュン)東亜大教授は586世代の情緒として把握する。「1980年代の運動圏の情緒の底辺には『自由』という価値を既得権、持つ者の専有物という階級闘争的な認識があった。その古い左派的な意識が慣性で残り『自由』が削除されたのだ」。

言語の変動は主流理念の変化だ。いま政権の片方では人物・勢力の交代だ。別の一方は思想・歴史戦争だ。2つの戦線は補完的に絡んでいる。

理念転換の主要戦線は教育現場だ。昨年7月、教育部は社会・歴史教科書の内容の枠を新しく変えた(教育課程改訂告示)。「自由民主主義」から「自由」を削除した(成就基準)。ただ「成就基準解説」時に柔軟性を置いた。「自由民主的基本秩序」も共に使えるようにした。しかし骨格は「自由」の削除だ。解説は下位段階だ。反発は激しい。「憲法的価値とアイデンティティーを脅かす」ということだ。憲法を考える弁護士会(憲弁)と韓半島の人権と統一のための弁護士会(韓弁)は憲法訴願(違憲確認)を出した。

チャン・ヨンス高麗大法学専門大学院教授はこのように展望する。「自由民主主義が民主主義の中に内包されるという(教育部改訂理由)のは違憲ではない。ただ、あえて自由民主主義を民主主義に変えることが北朝鮮人民民主主義を認定、包容するような意図が入ったとすれば違憲の決定的な部分だ」。

民主主義は魅力的だ。旗は多様だ。自由民主主義、人民民主主義、教導民主主義、民衆民主主義…。修飾語は短い。内容は決定的だ。体制の本質だ。個人の生活を掌握する。教導民主主義は1950-60年代インドネシアスカルノの粗雑な独裁だ。共産民主主義は恐怖と処刑の階級独裁だ。それは北朝鮮で悪性変種した。金正恩キム・ジョンウン)体制は奇怪な世襲独裁だ。国の名称は「朝鮮民主主義人民共和国」だ。

韓国の独立闘士・先覚者はその違いを予見した。金九(キム・グ)の観点は明快だ。「私の政治理念は一言で表せば自由だ。…共産党が主張するソ連式民主主義というものは独裁政治のすべての特徴を極端に発揮している」 (『白凡逸志』 「私の願い」)。「私の願い」は自由の熱望に満ちている。それは黙示論的な洞察だ。それは経験の縮約だ。金九の臨時政府は左翼の分裂主義に苦痛にあった。

自由と民主主義は合う。その瞬間、覚醒と情熱が噴き出る。人権と正義は噴出する。自由民主主義は厳選・精製されたものだ。でたらめな民主主義とは差別的だ。「自由」の削除は致命的だ。大韓民国体制の優越的地位が失われることだ。疑惑の視線が注がれている。卜鉅一(ボク・コイル)は「北と同質性を追求する」と語った。

金九の「自由」は拡張する。それは民族主義と結合する。自由を込めた民族主義は「開かれた民族主義」だ。開放は繁栄の動力として作動した。北朝鮮民族主義は閉鎖的原理主義だ。自力更生の経済は貧困と飢餓だ。今年は臨時政府樹立100周年。「文在寅政権の人たち」は金九を崇める。しかし「自由」の省略は白凡(金九)精神の侮蔑的拒否だ。

自由は正義を実践する。青年尹奉吉(ユン・ボンギル)の知的練磨の土台は自由だった。「人生は自由の世の中を探す。人には天賦の自由がある。自由の世の中は我々が探す」。彼の著書『農民読本』の卓越した一節だ。その言葉はジョン・ロック自由主義哲学と結びついている。その信念は独立闘魂を生産した。「自由の世の中は私たちが探す」で絶頂に達する。29日は尹奉吉の上海義挙87周年記念日だ。

4・19墓地で2つの造形物が近づく。題目は「自由の闘士」と「正義の火花」だ。「自由」と「正義」の2つの彫刻像は調和を生み出す。元老言論人の睦貞均(モク・ジョンギュン)氏(元世界日報編集局長)は4・19革命参加者だ。彼は「自由の精神の中で正義が本当の花を咲かせることができる。自由は不正と不公正を排斥する判断の滋養分」と語った。

自由のない正義は傲慢を生む。その過剰状態は正義の独占だ。「自分がすれば正義、他人がすれば積弊」の独善だ。そのような思考は敵と同志に人を分ける。大統領選挙陣営、コード、共に民主党の勢力拡大はそのような意識の反映だ。

自由は寛容の勇気を与える。マンデラ叙事詩的な事例だ。彼は自身の人生を「自由に向かう遠い道のり」と描写した。監獄→釈放→復活だ。彼は大統領(南アフリカ)当選後、和解と統合を前に出した。勝ち取った自由は許す勇気に進入した。金大中(キム・デジュン)は「マンデラは最高の勇気の表象」と言った。金大中は統合の大統領像を追求した。彼の執権中、元大統領らの会合は定例的だった。

「自由」精神は進化する。4・19革命功労者会のユ・インハク会長は「我々の世代は民主化の先導であり、産業化の担い手だった」と述べた。これに基づいて4・19団体は「民主化と産業化の融合」を掲げる。

来年は4・19の60周年。文大統領の記念演説が予定されている。4・19墓地で「自由」の叫びは復元されるのだろうか。正義は自由で強まる。自由と民主は攻勢的な組み合わせだ。自由と正義は分離されない。

パク・ボギュン/論説委員