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【#中央日報】【コラム】中国人30万人が楽しんだ秋史・金正喜=韓国

ソウル芸術の殿堂書道博物館イ・ドングク・シニアキュレーターは最近、中国北京で全く予想できなかった北朝鮮の人々と出会った。今年6月18日、北京の中国美術館で開幕した「秋史・金正喜(チュサ・キム・ジョンヒ)と清朝文人の対話」特別展だ。先月23日に閉幕を控え、展示の後片付けのためにイ氏が再び訪れた中国美術館に北朝鮮の万寿台(マンスデ)創作社所属の作家10人余りが現れた。もちろん公式招待ではなかった。周知のとおり万寿台創作社は北朝鮮の美術分野最高の集団創作団体だ。

イ氏は短くはあるが彼らと話を交わした。「北朝鮮の芸術家らも秋史に特別な関心を見せた。出品作を丁寧に見ていた。普段から秋史について正確に知っているようだった」

――なぜそのように考えたのか。

「万寿台創作社の総責任者のキル・ジョンテ館長が印象的だった。抽象彫刻家のキル館長は秋史の真価を見抜いていた」

――キル館長が何と言ったのか。

「キル館長は書道が東洋造形芸術の基本だと言った。本人も秋史の作品を所蔵しているという。彼は秋史の個性を『変化』の一言に圧縮した。果てしなく変わる自己を追求したというのだ。実際、秋史の一生がそうだった」

北朝鮮作家の秋史展団体観覧は異例的だ。政治・外交の間隙をつなぐ文化の役割を改めて振り返らせる。今回の秋史の中国展示が特にそうだった。2カ月間で30万人近くの観客が訪れた。1日平均5000人だ。中国側の公式集計では、伝統的美術の展示としては大ヒットだ。イ氏は「韓国最高の書家とされる秋史だが、中国人が果たして秋史を認めるか非常に心配だった。THAAD(高高度ミサイル防衛システム)問題以降、未だ霧の中にある韓中交流を勘案すると一般の観客が訪れるか疑問だった。しかし、結果的に杞憂に終わった」と述べた。

今回の展示は、秋史が210年ぶりに中国に渡ったという点で格別な注目を浴びた。1809年に24歳の青年だった秋史は清の首都、燕京(現在の北京)に使臣として派遣された父親について中国の地に初めて踏み入れた。その後2カ月余り燕京に滞在し、最新の知識と学問に開眼した。中国最高の知識人、翁方綱・腕元などに師事し、歴代の書法を習い、帰国後もこれを磨いて秋史体という独自の境地を得た。美しく整った文字を超越し、既存のフォントを解体した奇怪ながらも生き生きとした文字を披露した。北京での展示には秋史の変貌過程を示す名作117点が出品された。

中国の作家たちは秋史の進取性を高く買った。21世紀の現代美術も通じる秋史の先駆的見識を強調した。世界的彫刻家として有名な呉為山・中国美術館長は「文字を超えた映像だ。審美的にも造形的に現代抽象」と評価し、著名な書家の黄金平は「屏風1扇、文字1字ごとに古風さと素朴さ、奇妙さと躍動感が溢れている」と感嘆した。北京の現場に行ってきキム・ギュソン鮮文(ソンムン)大学教授は「韓国という狭い囲いに閉じ込められていた秋史を、東アジアの地平から新たに照明を当てた意味は大きい」と説明した。

今回の秋史展は文化系事件と呼ぶに値する。K-POP・ドラマなど大衆文化に制限されていた韓中文化交流が芸術・学問分野に拡大されたという点で喜ばしい。しかし、手ごわい課題も残した。韓国で最高と言ってきた秋史という巨大なコンテンツを、東アジア、さらに全世界レベルでどのように疎通させるかという戦略的なアプローチが必要になった。第2、第3の秋史を見つけなければならない責任も大きい。目の前の韓中関係が困難でも世界の活路となる文化交流まで塞いではならないためだ。最悪に陥った韓日関係も大きく変わらないはずだ。韓日中の三国ほど文化的共通部分が豊富な地域もまれだからだ。

晩年の秋史は自分の老いた顔を描いた自画像にこんな文を付けた。「この人が私と言っても良いし、私でないと言っても良い。私であり私ではない間に私というものもない」世の中に1人で存在するものはいないという意味だ。独断に陥るおそれのある自分を警戒する文だ。個人であれ地域であれ国家であれ、世界の万物は関係の中で輝くものだ。嬉しい知らせが1つある。芸術の殿堂は今回の北京展示を記念する帰展を来年初めから2カ月間開催する。秋史が生まれた忠清南道礼山(チュンチョンナムド・イェサン)、流刑されて行った済州(チェジュ)、老年を送った京畿道果川(キョンギド・クァチョン)も合同で行う。4つの自治体の協力も初めてだ。秋史の輝かしい帰りを待つ。

パクジョンホ/論説委員