日本の敵速報

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【#朝鮮日報】【コラム】老論の亡霊に取りつかれた韓国

400年前の西人派のクーデター

権力組織を自分の勢力で固めた上で、道徳律を掲げ政敵を除去

衰退・滅亡の歴史、恐ろしくないか

 1623年、西人派が光海君(朝鮮王朝第15代国王)を追放して仁祖(第16代国王)を王位に就かせた大義名分は道徳だった。背倫児(倫理に背く人でなし)と、明を支援しようとしない指導者を追放するというものだった。しかし、クーデターが成功した直後に彼らが隠密に決議した本当の目標は別にあった。「勿失国婚(王妃は身内から輩出する)、崇用山林(在野の学者を優待する)」だ。

 「勿失国婚」とは王妃を代々、西人の家門から出すという意味だ。妻の一族によって絡み合った権力ネットワークを、固定させようという壮大な夢だ。「崇用山林」とは、権力から排除されていたソンビ(学者・文人)たちを重用するという意味だ。権力組織を自分たちの勢力で固めるという執念だ。一度握った権力を「永遠に」維持しようという壮大な計画だ。この内容は南人派・南夏正(ナム・ハジョン)の「桐巣漫録」(1740年)に記録されている。計画は成功した。

 驪興閔氏出身の第26代高宗妃(閔妃、明成皇后)、第27代純宗妃(純明孝皇后)に至るまで、歴代の王妃は西人-老論派から輩出された。英祖(第21代)、正祖(第22代)の時代に一時的に南人派が起用されたことはあったが、朝鮮王朝後期の権力組織は老論派で固められていた。西人派、さらに西人派から分かれた老論派は、大韓帝国の終末まで権力を維持した。地球上に例のない300年の超長期独裁を試み、そして成し遂げた。

 超長期独裁を可能にした武器は、道徳律だった。自らを君子と呼び、政敵は小人(徳のない人)だと蔑視したのだ。権力集団自らが道徳基準を設定し、これに背く勢力は政敵として処断したのだ。「朱子の美しい文を乱す盗賊」という「斯文乱賊(儒教の反逆者)」と烙印(らくいん)を押されれば、誰であっても生き残ることはできなかった。自ら生みだした道徳的優越性と絶対権力が融合すれば全知全能だった。

 21世紀の大韓民国でも道徳律を吟じる老論が幅をきかせている。ソウル大学教授のチョ・グク氏の事態を論理で批判する元東洋大教授のチン・ジュングォン氏について、与党「共に民主党」の李鍾傑(イ・ジョンゴル)議員は「道徳的に堕落している」と指摘した。小説家の孔枝泳コン・ジヨン)氏はハナから「気の毒だ」とあざけった。権力が道徳律を自ら定めるような状態を放置すれば、このようなぞっとする事態が起きる。

 さらに怖いのは、「崇用山林」の方だ。韓国大統領府(青瓦台)は先週、生きた権力を捜査していた検察庁を総入れ替えしてしまった。ソウル中央地検長には大統領の大学の後輩を就任させた。法務部長官は「地域と期数(司法研修院の修習期。数字が小さいほどベテラン)を考慮したバランスの取れた人事」と述べた。「検察総長が私の命令に背いた」という前近代的かつ超法規的な大義名分を恥ずかしげもなく口にする。今月3日、「共に民主党」のパク・チュミン議員が、法院(裁判所)の行政権を国会が掌握できる法院組織法改正案を発議した。道徳を振りかざして全分野を自分の味方で固めてしまった。「崇用山林」を通じた権力の固着軌道から、ただの1ミリも外れていない。自分たちだけが国家経営に携わる権能と資格を有する君子だとして、政敵に「小人」の烙印を押して皆殺しにしたあの振る舞いだ。

 ところで、老論派の超長期独裁を可能にしたもう一つの理由がある。「(西人派の)連中は、利用されることを喜ばしいことと考え、熱湯や火の中に飛び込んで、死んでも逃げなかった。一方の南人はもともと隙が多く、自らを戒めることを怠った」(『桐巣漫録』)。狂気の前で野党がすっかり参って取り乱したという意味なので、これもまた21世紀の大韓民国の風景と同じだ。

 それで、その国はどうなったのか。自称・君子が繰り広げた他称・小人の残酷史で塗りたくられた。国家の生産力はどんどん弱くなり、百姓は貧しくなり、その貧しい国の自称・君子たちは道にペタペタと張り付いている謝礼で腹を満たした。道徳で道徳で表面を覆った権力欲の狂気の結末は、共同体のこのような没落と滅亡だ。恐ろしくないだろうか。

パク・チョンイン旅行文化専門記者